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せぴあ色したおもちゃ箱 |
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世迷事の讃歌
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いらっしゃいませ!!どうぞ、ゆっくりご賞味いただけたら幸いです
著作権は放棄していません。文章以外の挿絵 壁紙は素材サイト様のものです
このネタは詩を描くと言う事とダブルかなと憶いながら、
敢えて、もう一度考えてみようかな。
詩は描くだけじゃ立ち行かないと言うか、
読まれて初めて独り立ちできるような気がします。

詩を描くと言う事という雑文を紡ぐまで所謂井の中の蛙状態で大海を見る前に
井戸に新しい作品に流れ込む事で頭をグワゥンと叩かれたのでした。
で、それではいかんと一念発起して
ネット上をブラウジングして色々な場所を覗き
綺羅星の数よりも多いネット詩人様の作品を貪るように
眺めるようになった私です。それでも未だに現代詩と言われている物が
どんな物なのか、ポエムと詩の違いがあるように言っているけれど
それは一体どのような物なのかいまいち良く解っていない。
だめだめっぷりをここで晒して、
これ以上見たくない人ばかりかもしれないけれど、
まぁ、それは置いとかないと先に進めないし、
大前提としてどうしてこんな物がここにあるかと言う
究極の疑問まで発展するので、見ない振りをしよう。
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私がお世話になっているサイトで、口角泡を飛ばす勢いで
喧々諤々と繰り広げられている論争がある。
ー過去詩を読むべきか、どうかー
偉大なる芸術作品として知っておく必要はあるし、
こういうリズム、世界観、好きだなと言いたい。
だけど、あまりにも完璧で無意識にそれに捕われてしまって
抜け出せなくなるような怖さもある。
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しかし、この世界に足を踏み入れたなら、やっぱり齧ってみないと
だめなんじゃないだろうかと言う気がしてきた。
怖さで挫折するなら、それはそこまでなのじゃないかな。
天才は99%の努力と1%の才能でできていると諺もあるし、
ずっと先頭を突っ走れる懐の広さは凄い物だろうな。
天才と言われる画家、音楽家スポーツ選手の練習量は半端じゃない。
アマデウスにはなり得ないとしてもサリエリには近づけるかもしれない。
博識にめっぽう弱いのである。
知らないと言っていられる立場とか年齢はあるのかも。
やっとしゃべれるようになった子供の詩に心鷲掴みにされる事もあるけど、
それだけが大ホーマーである可能性のほうが大きいのじゃないかな。
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話はちょっとばかり逸れるけれど、詩を読むということは
ミステリーを紐解くものだと想っています。
すると固有名詞がキーポイントになる事が多々あると想うのですが、
その解釈は人に寄ってそれぞれで
その読み手個人の度量を試されているような気がします。
漢字にルビを振るだけでは間に合わない経験値と言うかそれを知っているかどうか。
物語の背景はきっと書き手に周到に考え抜かれて紡がれていると想うのですが、
でもその意図を汲み取ってもらえるか、読み解く必要はない
のかもしれないのかもしれないけれどイメージをちゃんと隆起してほしいな。
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自分のイメージした事がキチンと伝わるか否かはまぁ、
普通の会話文でも大事なように物語も相手に伝えたいと言うのが
私の大前提(これに異論があるから議論になるようだけど)になる訳だから。
感性に従って紡がれてもうどう料理されても好きにしてという
まな板の鯉状態の作品もあって、
そういう人たちは過去詩は読む必要性を感じないのかもしれない。
でも私は、好きなように描いているようであって、ない智慧を絞って
結構色んな事を考えていたりする訳で、するとちゃんと相手に
伝わるような方法論、構成力は考えないとだめなんじゃないかな。
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そして、私の場合、大好きな固有名詞を入れ込んで描く事が多いのですが、
実はもう、その言葉は共通項ではない過去の遺物、死語だったようで
なくなるのが寂しいし、残したいと思って創ったけれど、
わざわざ説明をしないと理解不能だったりしてビックリします。
ところで、その言葉をちゃんと探ってくれるのはある程度の懐が必要のようで
私としては絵本のように誰にでも解るを目標としているのに
もう最初から躓いている始末です。
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又また、がらっと話が飛ぶのですが、
今、教育現場では英語は会話主体を尊ぶようになっているようで、
私はそのペラペラのうすっぺらさをほんの少し危惧しています。
文法よりもまずしゃべれるようになりましょうと・・・
しゃべれるようになるまではそれで良いけれど、
その先に進めなくなってしまう。
某大統領は成り上がりと言うか、所謂アメリカンドリームを地で
いくような人物なのだけれど、彼はもう、二代目で
ブルーブラッドと言ってもおかしくないはずなんだけれど、
彼の語彙の少なさ文章の貧困さには目を覆う物があると
ロビーイスト達の間では囁かれています。
でもそのフランクさ解り易さが大衆にアピールするのも事実でもある。

どっちを良しとするかはもう、個人個人の問題になってくる。
今、ペラペラと海外でネーティブのように活躍していくのは
凄い事だけれど、明治の頃に活躍した日本人の
論文や演説原稿を読むとその格調の高さに脱帽してしまう。
彼らはラジオ講座があった訳でもなく、本から仕入れた
文法、言い回しを使って、発音なんかお粗末な物だけど、
ちゃんと耳を傾けてもらえる何かがあったのは確かです。
そこまでになる前に嫌いにならないように間口を広く
浅くしたのだろうけど、後から、学ぶには大変すぎるし、
大丈夫だろうか・・・

ここまで来ると、もう自分の趣味の問題であり、
自分のスタンスを問われているのかもしれない。
で、結局読むべきだなという結論に私はたどり着いたのだけど、
学ぶには遅すぎると言う事がないと信じましょう。
そこまで頑張れる時間がとれるかと言うのも
ちょっとだけ怪しいけれども、ネ♪
時分が依るべく背景とか先達に学んで損するはずないしね。
で、一体何処から、手を付けたら良いのか、また新しい問題に直面。
戸を叩くと招き入れてくれる場所は在るようで、
ネットの威力にまた改めて感心しながら、
ネットで知り合えたお友達に感謝。
ありがとうございます。
ようこそ いらっしゃいませ!!
こちらは管理及び著作権主張者である山南薫のかけらです
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