せぴあ色したおもちゃ箱 |
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世迷事の讃歌
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いらっしゃいませ!!どうぞ、ゆっくりご賞味いただけたら幸いです
著作権は放棄していません。文章以外の挿絵 壁紙は素材サイト様のものです
このホームページを作るとき、どんなホームページを
思い描いていたかと言うと、その名の通り、宝箱のようなおもちゃ箱が
山南薫の目指す所です。
一読者として本に埋没している時間をこよなく愛している私ですが、
大好きな絵本や漫画を本箱に飾っている事も誇っているのかもしれません。
絵本を開くと守られ、慈しまれていた大切な時間に戻った気分になります。
ですから、自分のHPも本箱みたいにしたいなと考えて、
自分で紡ぎ出す詩もどきも
絵本のようにひもとく事を理想としています。
塗り絵とか、着せ替え人形は好きだったのですが、
工作したり、絵そのものを自分で描く事は未だに苦手です。
恐ろしい程の不器用で、写真を撮るとピンボケばかりと言う
泣きたいような事実・・・困りました。
絵本の大事な要素である、挿絵を自分で描けない哀しい現実にも
このHPという媒体は私の希望とうまく合致して
タダで、挿絵を提供してくれるサイト様があるなんて
拾う神在りという所でしょうか、世の中捨てた物じゃありません。
自分にとっての詩の形態の明確なビジョンは、
このホームページのJack in the BOXで表現しているつもりです。
HPの中身を独特な名前を付けて区分している為、
とても解り難いだろうなとも感じているのですが
常識に計れない物は存在すると思って諦めて下さい。
ググって、飛び込みでいらっしゃる方を絡めとる事は未だ叶わず。
プロフィール 日記 掲示板 poem リンク メールという枠は
自分にはちょっとぶかぶかなような気がして、
当たり前の物に、自分流に命名する事でお仕着せではない、
私だけのピッタリのお洋服、まるで、もう一枚の肌のように馴染んでいます。
でもこう言う事は自己満足とも自分勝手とも言うのですよね。
いずれ、当たり前の分け方になっていたら、
それは圧しつぶされたのではなく、そこまで育ったと思って下さい。
ここで、詩もどきを開陳しているのに、
詩とは何ぞやと考えもしなかった自分が居ます。
かつて学校の宿題や勉強として、詩に取り組んだ事があったのみでした。
物語に読み耽り、そこから派生する空想世界に飛ぶ事を
趣味としていただけだったのに、こんなに軽々とメッセージを
伝える側・発信者になれるとは正直ビックリしています。
極数える程の受け手でも本当にありがたい事です。
絶対、カラオケの賜物があると信じているのですが、
魂の雄叫びをリズムに乗って謳う事に違和感が無いようで
皆、嬉々として詩を書いていてそして唸る程うまくて驚いてばかり。
どんな詩人が好きかと言うと有名無名を問わず、
その方独自の持ち味・好きなフレーズがあって選びきれません。
収集癖がある程欲張りなんです、残念
わたくし、捨てきる自信もなく、整理整頓からほど遠くという
研究者からもオタク系からも外れた一般人です、切腹。
楽々と暗唱できる詩が最高だと
思っているので、やはり、カラオケ様々なのではないかな。
試験の為に覚え込んだ枕詞、出だしの言葉は
お題目のように体に染み付いています。
童謡、唱歌も含め、古典もさらっておくべきなんでしょうか。
ハイ、某国営放送の『みんなのうた』は大好きな番組です。
童謡、唱歌が消滅して行く運命には、したくないとも思っています。
所謂、詩は大部分の人が知っているような有名な物しか知りません。
歌舞伎や舞台の名セリフ、アニメ、漫画の決め台詞、コマーシャルで流れる
キャッチコピーも耳障りが良くって舌の上で転がしたくなる奴で、
『マザーグース』始め谷川俊太郎氏の『ことばあそびうた』は私のバイブルです。
詩を作る事で自分自身を謳い挙げている部分は絶対あると思います。
内面を赤裸々に吐露するのです。
恥ずかしいですか?
自分の理想像が何処にあるか見えてきたものがあります。
詩を描くきっかけは、某オンラインゲームサイトで知り合った人との
言葉のキャチボールでした。
うさぎに命名した事から総てが転がり、めくるめく夢の世界が広がったのです。
ですから、名付けるってとても大切な事だと思っています。
晩生と言うか冷めていたのか、ペンパルも居なければ
ファンレターを出した事も追っかけもしたことのない私でしたが、
ほとんど危ないストーカー化して、惚れ込んだゲームのキャラがいっぱいできました。
文章の持つ力は偉大だし、絶対その人と成りの片鱗を
PCのこちらから伺う事ができるのは確かであると思っています。
だから殺人や集団自殺或は自殺幇助が
起るのも頷けるというのは言い過ぎですか・・・
そのオンラインゲームでは
不穏な不協和音も時たま吹き荒れるので
ガラスのような繊細な心が壊れそうになる事もあるのですが、
面の皮も厚く、図太く鎧を着込んでいる私には、
もう、そんな華奢な部分は残っていないようです。
モラトリアムで日向な時(食うのに困っていない)を過ごしている人が
多いのはちょっとだけ事実で、人生の区切りには
きっと置いてきぼりを食らってしまうそんな場所なのかもしれない。
封印されて会えなくなるキャラもたくさん居るようです。
それでも細々と居残っていたら、『久しぶり』と声がかけられると
そんな役割は大切だといつまでも閉鎖されるまで留まろうと思っています。
ちょっと、話が横道にずれすぎているのですが、そこは
私が詩もどきを描くきっかけを提供してくれたとっておきの場所なので、
思い入れはもういつでも爆発寸前の風船のように大きいです。
私の目指している詩もどきはイメージ或は物語を描く事だと信じているので、
他者に伝わってものがいったいどんな風に見えるかは実はとても気になります。
どんな一言でも与えられたら、きっとまた新しい世界が派生すると・・・
数少ない戴いた感想は私の新しい宝物です。
純粋な子供の目は鋭くて厳しい事は実感しています。
小さな子にオヤっと感心を持ってもらえないと
本物ではないような、そして
痛い程、本物から外れて邪道を這いずっている自分が居るのかもな。
好きなフレーズやら、何やらかにやらをスパイスのように混ぜ込んで
どちらかと言うと本家の御意向及び笠を着ているような所が目立つような
大仰な言い回しをしているつもりではなかったのに、
トラの威を借りてき込んだ狐かもしれない自分自身が浮かび上がってきました。
お子様には解ってもらえないけれど、大人系と切り捨てられたくはない。
それでも子供に迎合する社会は、子供を蔑ろにしている気がします。
澄んだ幼い目のほうがそんな社会よりもっと成熟しているのでは・・・
でももっと、子供が寝た後でというような大人の時間があっても好いような。
コソっと覗き見ていずれ到達したいと思える場所は必要なはずです。
何が言いたいのか、自分でも解らなくなってきました。
霞喰う仙人のようになりたいと思っていながら、
鎧ばりの大仰な言い回しに終始している事実に直面。
詩の投稿でもと覗いてみたら、『詩』とは
テーゼを創り文字からイメージを大玉転がしのように
相手に伝える事なのかも知れない。
枠組みって大嫌いと思いながら、自分のスタイルも枠に納めようと
したいのか、したくないのか・・・
今の私にはこれだけという事実と焦燥感
理想と現実の深い溝を突きつけられた所で自分にとって
やっと『詩』を考え始めた所です。
細々と受け継がれた物、消え入りそうな憶いを経糸に
キラキラ光る言霊と色とリズムを緯糸に
その時の情景を紡いでいきたい
ここまで読んで、『how toものじゃなかった』と
地団駄を踏んだ貴方、ごめんなさい。
これはHPと同じく、超個人的な宣誓だったのでした。
何を誓ったかは推して知るべし
ようこそ いらっしゃいませ!!
こちらは管理及び著作権主張者である山南薫のかけらです
興味が湧いたら 是非 別の箱もご覧ください
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